大連世界旅行社


1905年


1905年

1月1日
望台(185高地)砲台占領(第9師団・金沢・富山、11師団・徳島)。

望台砲台
第1回旅順攻撃に望台の戦いが始まり、最後に占領したのがこの砲台です。写真4-1、乃木夫妻写真4-2占領直後の写真、写真4-3頂上、中央、下に日の丸が見える、写真4-4現在の写真、写真4-5砲台はロシア製の本物、1899年と書いてある。150ミリカノン砲、砲台の本物はここしかない、写真4-6碑。写真4-7望台より東鶏冠山北砲台の背面を望む、写真4-8現在の写真。

望台を占領し司令部は正月の祝宴開催していた。そこにロシア降伏の知らせが入る。
ロシア軍ステッセル中将降伏書状を乃木に送る。

1月2日
東鶏冠山第2堡塁(第11師団) 無条件占領、写真4-9写真4-10碑は資料博物館展示。写真4-11現在の現場の写真、土台が残っている。
旅順攻囲戦、ロシア軍降伏、日本軍の勝利で終わる。日本の死傷者約59,400人、内戦死者約15,400人。ロシア死者約10,000人。
水師営で伊地知とライス大佐が旅順口開城規約調印。写真4-12、中央が伊地知。
1月5日
水師営で乃木大将、ステッセル中将、講和委員会会見。写真4-13、中央がステッセル。写真4-14ステッセル、写真4-15ステッセル官邸、後の関東州長官邸、写真4-16現在の写真。

「水師営の会見」http://www.56.comで検索、歌が聴けます。

文部省唱歌
 水師営の会見
  1.旅順開城成りて、敵の将軍ステッセル、乃木大将と会見の、所はいずこ水師営
  2.庭に一本棗の木、弾丸あともいちじるく、くずれ残これる民屋に、いまぞ相見る二将軍
  3.乃木大将はおごそかに、御めぐみ深き大君の、大みことのり伝うれば、彼かしこみて謝しまつる
  4.昨日の敵は今日の友、語ることばもうちとけて、我はたたえつかの防備、かれはたたえつ我が武勇

水師営の会見所
現在の会見所は1996年に日本人観光客の為に作られた物。移築された訳でもありません。場所も違います。中にある、建物、写真、看板、手術台、棗の木、各種碑も精巧に作られた偽物です。
 写真4-17水師営の位置図。
 写真4-18水師営会見所の碑。現在の水師営の碑は右側にあり文字が細い、その他の各種碑も偽物で
 す。
 写真4-19左、棗の木、4代目?今年の冬も枯れてしまい、現在は新しい木です。
 写真4-20写真4-19の裏、これも現在の碑は文字が細い。黄色い→は水師営会見所で唯一残っている本物。資料博 物館にあります。
 写真4-21棗の木。右下ステッセルから乃木に贈られた「ス」号。
 写真4-22現在の写真。ここのガイドは4代目と言っているが、これも嘘。
 写真4-23水師営の会見所碑文、写真4-20の黄色い→、資料博物館展示。
 写真4-24中、記念写真と会見室の看板。左側日本軍控室、右側ロシア軍控室。左端にあるのは会見の  
 机、日本軍の手術台を使った。日露戦争当時会見室は、日本軍の野戦病院でした。その後水師営小学校
 になる。
 写真4-25現在の写真。「会見室」の上を見て下さい。写真4-24と比べて、隙間が大きいですね。逆に下
 「…室」は狭い、本物・室のウ冠と王の縦線が同じ場所ですが偽物はずれている、額が安物、机の添え木、本
 物は2本、偽物は3本、机の出っ張り本物は大きい、偽者は小さい、偽物です。会見室の位置は真ん中にあり
 ました。現在の会見室は左側=日本軍の控え室にあります。これも間違えです。現在東京の乃木神社に会
 見室の机は、棗の孫木と共に展示しています。写真4-26
 写真4-28中央左乃木・左端レース、右ステッセル・右端伊地知、前列右津野田参謀・左マルチェンコ大
 尉、後方右から渡辺中尉少佐・松平副官・デブレスク中尉・安原参謀・川上外務書記官。右側にステッセル
 が乃木の為に贈った白馬「ス(寿)」号の繋いで置いた棗の木がある。後の水師営の会見の棗の木。
 写真4-26正面。
 写真4-27現在の正面。右側奥に水師営会見所の碑がある。
 写真4-32本当にあった場所は現在は何も建っていません。マンション建設中。

1月11日
ステッセル大連出発、鎌倉丸で長崎へ。
1月13日
第3軍旅順入場。写真4-33入場の乃木の通り道水師営から三里橋、龍河を渡り@(写真4-34写真4-35現在の写真)乃木町(乃木が旅順入場の時に通ったから乃木町と名づける)を通りA(写真4-36写真4-37現在の写真)、迎橋を通りB(写真4-38写真4-39現在の写真)、粛親王邸を通りC(写真4-40写真4-41現在の写真)旅順開城式の会場D(写真4-42写真4-43現在の写真)に入る。整列、写真4-44

会場は旅順師範学堂の近く、旅順大和ホテル(1905年には建っていません)の前でした。日露戦争後、ここに旅順入場記念碑が建ちました。残念ですが、現在残っていません。写真4-45写真4-46現在の写真。
1月14日
水師営での招魂祭、中央乃木、右伊地知、写真4-47

伊地知参謀長は旅順要塞司令官になる。第3軍参謀長は小泉少将→一戸少将。
ステッセル長崎に到着。

1月17日
ステッセル、日本からロシア帰国。その後1908年2月軍法会議で死刑宣告、1909年4月乃木の助命運動により10年に減刑、釈放後軍を追放され商人として生きる。
1月24日
乃木柳樹房司令部出発、遼陽へ。
3月10日
1,2,3,4軍奉天占領、陸軍記念日。
5月27日
日本海軍、バルチック艦隊撃破(〜28日)。海軍記念日。
7月31日
陸軍樺太占領
9月5日
日露戦争終わる