大連世界旅行社


「坂の上の雲」オプショナル

寫眞舘T、U、V、W、X参照。特にW坂の上の雲、X203高地をご覧になって下さい。きっと行きたくなりますよ!


当社オプショナルにお申し込み頂いた方に、大連豪華マンションホテルを1泊100元でご優待。何泊でも泊まれます。詳細は、ココをクリック!

複合
No.SK01
「坂の上の雲」の表舞台(日清・日露戦争の足跡) 8時間(9時〜17時)

他社とは確実に内容が違う!

本当に日本人が見たいところ!

当社しか扱っていないものがたくさんあります。

もちろん個人旅行でも行くことはできません。

個人の方は恐らくご存知ありません。


旅順で一番人気のレストランで昼食

本当に美味しい餃子店です。地元の食通でいっぱいです。

さらに!!

プラス100元/1人旅順名物海鮮料理を!!

カニ、ウニ、アワビなど海の幸が本当に安くて美味しい!!


モデルコース
ホテル−@大連=ロシア人街−大山通り、児玉通り、乃木通り−大連満州軍司令部−乃木
司令部(追加1の場合)−A金州=南山の戦跡-金州日清戦争司令部−金州陸軍病(693
部隊)−B旅順=昼食−土城子−水師営の会見所(追加2の場合)−東鶏冠山北堡塁−
望台砲台−松樹山第4砲台−203高地・乃木保典戦死の場所(写真館W坂の上の雲日
露戦争参照)−コントラチェンコ邸−旅順博物館(追加3の場合)−秘密の堡塁(追加4の場
合)−旅順駅−白玉山塔(旧表忠塔)−ステッセル邸−広瀬橋−ホテル

@大連
 大山通り、児玉通り、乃木通り

 大連市内、児玉源太郎、大山厳、乃木希典、の名前のついた通り。日露戦争の後(1905
 年〜)、名づけられました。3人の通りが日本橋基点に重なりあっています。この辺りの日本の
 建物は、旧大和ホテル、満鉄総裁邸、毎日新聞、大連中央郵便局、三越呉服店がまだあ
 ります。もちろん見学します。
 大連満州軍司令部
 日露戦争時代、満州軍司令部(1904年7月〜1905年1月)が大連にありました。
 ここで大山、児玉、乃木が会いました。今も残っています。当社しか知りません。
 乃木司令部(追加1の場合)
 乃木が1904年6月7日大連上陸、8月まで第3軍司令部として使用しました。その後
 柳樹房司令部に移ります。その建物が残っています。当社しか知りません。

A金州
 金州は大連の隣の古い町です。日清戦争の時(1894年7月〜1895年4月)、秋山好古始
 め乃木希典の第2軍は金州東北部から中国に入り旅順(土城子)の清を攻めました(NHKド
 ラマ第4回。1894年当時、大連はまだ存在しません)。
 ここに正岡子規の句碑があり見学します。子規と森鴎外は金州で始めて顔を合わせます。子
 規は記者、鴎外は軍医で、2人とも親交を深めました(1895年5月4日〜5月10日、NHKドラ
 マ第4回)。
 南山の戦跡
 日露戦争の時、1904年5月26日第2軍が活躍し占領。秋山好古も活躍、乃木の長男勝 
 典が頂上から見える八里庄で5月27日戦死、1904年6月7日乃木がここに来て勝典を偲ん
 で歌った漢詩碑が中腹に、頂上には南山戦跡碑、両方共に土台が残っています。戦碑は無
 くなりましたが、乃木の漢詩碑は旅順資料博物館に展示してあります。
 金州陸軍病院(693部隊)
 細菌部隊として有名。今も廃墟のまま残っています。当社しか知りません。
B旅順
 日清戦争後、旅順を日本は租借していましたが、三国同盟でロシアに権利を譲りました。そ 
 の後、好古と真之は共に旅順を視察しました(1896年〜94年、NHKドラマ第6回2010年年
 末放映)。
 土城子
 旅順北方。日清戦争の激戦があった所。日本軍が旅順に行く前、ここで清軍と戦いました 
 (1894年11月18日、NHKドラマ第4回)。秋山好古ほか騎兵隊が営城子を出発、偵察に 
 出たところ、ここで清軍と出会い戦闘になりました。今でも地名として土城子は残っていて、現
 在は小さな村です(見学)。当社しか知りません。
 水師営の会見所(追加2の場合)
 1905年1月5日乃木とステッセル中将が会見、その場所は現在更地になっています。現在 
 の水師営の会見場所はまったくの偽物で、1996年に復元されました。
移築された訳で
 もありません。碑、彫刻、手術台、棗の木他も偽物です。復元された場所見学、本当にあ
 った場所も見学します。当社しか知りません。

 東鶏冠山北堡塁
 203高地を占領(12月5日)した後1904年12月16日占領。15日にコントラチェンコ少将が28
 センチ砲で爆死。碑が建っています。
 望台砲台
 1905年1月1日旅順攻囲戦で最後に占領した砲台(1月2日ロシア降伏)。本物のロシア砲
 台(旅順でここだけ)が残っています。他社では行きませんが絶対に行く価値あり
 松樹山第4砲台
 白襷隊が全滅した場所。日本の碑が残っています。これも絶対に行く価値あり。当社しか
 知りません。
 203高地
 日露戦争の旅順の激戦地。ロシア軍の抵抗にあい、日本軍が攻めあぐねていた所。ここを 
 攻略し旅順を占領しました(NHKドラマ第11回2011年年末放映)。
 乃木保典戦死の場所
 現在の碑、場所は偽物です。当社は本当の場所に案内します。山の中、土台が残っていま
 す。写真館203高地参照。当社しか知りません。
 コントラチェンコ邸
 1935年満州国皇帝溥儀が2回目の旅順訪問の時宿泊した場所。1904年コントラチェン
 コ少将邸(東鶏冠 山戦死)、1931年からは関東軍司令長官邸。当社しか知りま 
 せん。

 旅順博物館(追加3の場合)
 新橿ウイグルのミイラで有名な大谷コレクションがあります。1902年のロシアの建物でロシア時
 代、将校クラブでした。
 秘密の堡塁(追加4の場合)
 日露戦争のまま完璧に残っています。砲台、塹壕…見る価値あり。写真館203高地参照。
 当社しかしりません。
 旅順駅
 現在の駅は1906年に満鉄が建てたもの、最初の駅は1900年の竣工です。その場所に
 行きますが現在も残っています。当社しか知りません。

 白玉山塔(旧表忠塔)
 日本統治時代は表忠塔。日露戦争後、乃木と東郷によって建設されました(1909年)。近く
 に白玉山神社がありました。日露戦争でなくなった約2万の遺骨を納めた所です。今も
 跡が残っています。当社しか知りません。

 ステッセル邸
 旧ステッセル邸、後の関東州長官邸。今は中国軍の別荘。当社しか知りません。
 広瀬橋
 広瀬中佐の名前からの橋。当社しか知りません。

以下の場所はモデルコースに入っていません。コースに入れたい場合できるだけ組み込みますの
でお問い合わせ下さい。

旅順海鮮市場
大連・旅順の地元の人が行く所です。海鮮は旅順の名物、ウニ、ワタリガニ、ホタテなど買い物
しなくでも一見の価値あり。観光のお客様は行きません。庶民の生活が見られます。
白銀山トンネル
1922年日本が造ったトンネル。
黄金山
1904年2月8日、日露戦争に入ります。そのきっかけになったのが日本海軍とロシア旅順海軍の
旅順港攻撃です。東郷はじめ日本海軍は旅順を奇襲します。その後秋山真之参謀が閉塞
作戦を提案、三回行いますが失敗、第二回に広瀬少佐(死後中佐)が福井丸に乗り、
逃げるところでロシア水雷により戦死します。2010年年末NHK坂の上の雲放映。その
場所に案内します。福井丸の錨もあります。
旅順高校寮歌の北帰行(小林旭歌)は黄金
山を歌った歌です。
旅順監獄博物館
1909年伊藤博文がハルピンで暗殺、韓国人安重根が監獄され死刑になりました。その日  
本の監獄です。
旅順資料博物館
資料館には大変貴重な資料があります。南山神社(金州)の乃木希典の漢詩の碑、水
師営ナツメの木碑(
写真館W坂の上の雲日露戦争103参照)、剣山石碑、乃木保 
典戦死碑(現在203高地にあるのは偽物、写真館坂の上の雲日露戦争53参照)、 
203高地記念碑(写真館坂の上の雲日露戦争56参照)、小村寿太郎銅像台座の 
文碑(大連電気遊園地)、日露戦争旅順司令部地碑などがあります。必見です。

関東神宮跡地
1938年創立、44年鎮座。関東州(中国植民地)で一番大きい神社として創建。一部
残っています。当社しか知りません。

川島芳子邸
川島芳子は幼少をここで過ごしました。
明治町他、三笠町他
春日町、鎮遠町、吾妻町、常盤町、明治町、大迫町、中村町、松村町、朝日町、
乃木町、三笠町、東郷町他日露戦争の戦艦、人物の名前から町名が名付けられま
した。その場所に行きます。当社しか知りません。

旅順大和ホテル
川島芳子はここで結婚式をモンゴル王子と挙げました(後離婚)。
旅順第一中学校
1909年中国(満州)で一番最初に出来た中学校。元はドイツの商業施設でした。
旅順遊郭
1930年代日本人の旅順人口約4000人、その内遊郭の女性が2000人いたそうです。遊郭 
が残っている町名は金春(こんぱる)町。日本の東京銀座6丁目〜8丁目に今も残って
いる新橋芸者の町。明治時代、東京の新橋と柳橋は二大芸者町として有名でした。
そこから取った町名。金春町は遊郭はじめ飲み屋街だった町。当社しか知りません。

関東州庁
1905〜1919年は関東都督府、1919年から都督府は関東庁と関東軍に別れ、ここは関東庁
でした。
旅順水交社
日本海軍の任意団体、海軍将校クラブがあった所。東郷が宴会した場所。当社しか知
りません。

旅順要港部
1904年マカロフ中将(親しみを持ってマカロフ爺さんと呼ばれる)ロシア海軍東洋艦隊 
長官邸(2010年年末NHK坂の上の雲放映)−1905年旅順鎮守府−海軍要港部
−市役所、現在は中国海軍所有。当社しか知りません。

旅順第一小学校
1907年中国(満州)で一番最初に出来た小学校。当社しか知りません。

備考 :
昼食付。    
料金
1人
2人
3人以上

1,500元
1,200元
1,000元
追加0
プラス100元/1人で餃子料理に海鮮料理を追加できます。
追加1
乃木司令部を見学コースに追加する場合は、100元/1人が別途必要となります。
追加2
水師営の会見所を見学コースに追加する場合は、50元/1人が別途必要となります。
追加3
旅順博物館内を見学コースに追加する場合は、50元/1人が別途必要となります。
追加4
秘密の堡塁を見学コースに追加する場合は、100元/1人が別途必要となります。

No.SK02
日露戦争旅順攻囲戦(日露戦争マニアコース) 8時間(9時〜17時)

このオプショナルは日露戦争旅順攻囲戦に興味のある方にお薦めです。言ってみればマニアの
コースです。山道をかき分けて、人のいない場所に入りますから車は4WDで行きます。少々高
いですが(4WDを借り専用のガイドを付ける為)、その価値はあります。当社しか知らない場
所が沢山あります。


モデルコース
ホテル−大連−旅順=柳樹房司令部跡地−高崎山−龍眼北方堡塁跡地−203高地南
西・東北・中央−老虎溝山−南山被山−松樹山堡塁・第4砲台−二龍山堡塁−北盤龍
山堡塁−東盤龍山堡塁−西盤龍山堡塁−一ノ戸堡塁−望台砲台−東鶏冠山北堡塁−
東鶏冠山堡塁−椅子山堡塁−大案子山堡塁−小案子山第1・2砲台-旅順の他の観光
地を時間まで案内(LS01参照)−大連−ホテル

中国軍の練習の為行けない場合もあります(予めメールで連絡します)。

下記詳細説明の補足
「  」
モデルコースにある場所
○観光地
観光地になっています。
×観光地
廃墟又は人がいません。ほとんどが中国軍の敷地です。
当社しか知りません。
記念碑
日露戦争後、日本人が記念碑を建てました(1905〜1910年)。現在も残っています。
4WD
車は4WDしか行けません。
落書き
明治〜昭和10年代の日本人の落書きがあります。
歩く
目的地に行くのに10〜30分歩きます。

ロシアは7年の歳月を要し旅順要塞を築く。大砲646門、主要堡塁
52ヶ所、守備兵42,000名、世界一の要塞を築く。二龍山を中心とし
て西の松樹山、東の東鶏冠山は旅順3大堡塁。


1904年
07月29日 第3軍柳樹房司令部設置、旅順攻囲戦を開始する。柳樹房司令部跡地は
      社しか知りません
07月30日 干大山(115高地)占領(第9師団)
07月30日 鳳凰山占領(第9師団)

山縣元帥始め大本営は203高地を攻める方が得策と井口満州軍参謀に伝える。
柳樹房司令部で井口満州軍参謀、乃木第3軍司令官、伊地知第3軍参謀長、海軍参謀
他が会談。

08月08日 大狐山占領(第11師団)
08月09日 小狐山占領(第11師団)
08月10日 黄海海戦、日本艦隊、ロシア東洋艦隊交戦。
08月15日 「高崎山(164高地)占領(第1師団)」
      (×観光地、記念碑、4WD、歩く)
08月19日 第1回旅順攻撃 死傷者15,000人(全体の7割以上)、ロシア5,000人。(〜24
       日)
       大頂子山・水師営南堡塁攻撃失敗(第1師団)、南龍眼北方堡塁攻撃失敗 
       (第9師団)
08月21日 東鶏冠砲台攻撃失敗(第11師団)
08月22日 「大頂子山(183高地)(第1師団)、東盤龍山、西盤龍山占領(第9師 
      団)」
      (×観光地、記念碑、4WD、歩く)
08月23日 東鶏冠山北堡塁から望台砲台に攻撃目標移すが失敗(第11師団)。
09月04日 第1、2軍遼陽占領、満州軍司令部大連から遼陽へ移す。
09月20日 「水師営南堡塁占領(第1師団)」
      (×観光地)
09月20日 「南山坡山(なまこ山)堡塁占領(第1師団)」
      (×観光地、記念碑、4WD、歩く)
09月20日 「龍眼北方(クロパトキン)占領(第9師団)」
      (×観光地、記念碑土台だけ残る、歩く)
10月01日 28インチ砲導入(18門設置)
10月16日 「北盤龍山(鉢巻山)占領(第9師団)」
      (×観光地、記念碑、4WD、歩く)
10月26日 第2回旅順攻撃、死傷者3,800人、ロシア4,500人。(〜31日)
10月31日 「一ノ戸堡塁占領(第9師団)」
      (×観光地、記念碑、4WD、歩く)
11月07日 バルチック艦隊モロッコタンジェール港を出発。

伊藤枢密院議長と山縣元帥が会談、乃木の更迭を伝える。
明治天皇これを元老会議で拒否、乃木でなければ旅順は占領できないと話される。

11月26日 第3回旅順攻撃、死傷者17,000人、ロシア4,000人。以降、7師団(北海道旭 
       川)参加、計4師団。203高地(1師団、7師団)、二龍山(9師団)、東鶏冠山 
       (11師団)を攻撃するが失敗。(〜12月6日)
       中村少将隊長、白襷隊を編成(約3,000人)、松樹山第4砲台を攻めるも失  
       敗。中村(後の大将)は負傷して日本に帰る。(旅順 中村町=旅順大和ホテル
       の場所 はその名前から取りました。)
11月27日 第3軍司令部会議で乃木は目標を二龍山・東鶏冠山を攻めるのを一時中止、 
       28インチ砲を203高地に向けて砲撃、第1師団203高地を攻める。
11月28日 203高地東北・西南を占領するが、29日奪い返される。
11月30日 203高地に7師団参加、乃木の次男保典203高地東北で戦死(現在203高地に
       あるのは偽物)。
12月01日 児玉満州軍総参謀長、高崎山を視察、柳樹房司令部で乃木と会う。
12月02日 児玉が柳樹房司令部で会議、各師団長に東北方面の重砲隊(28インチ砲)を 
       高崎山に移し、203高地集中的に攻めることを告げる。
12月05日 「203高地占領(西南、東北、中央の3山)」、死者5,052人。
      (○観光地、記念碑、歩く。他社は203高地中央しか(知らないので)説明
      できません。
当社は西南、東北も案内します。

203高地西南から旅順湾内のロシア東洋艦隊を28インチ砲で攻撃。
ロシア東洋艦隊全滅。

12月06日 「老虎溝(赤坂)山占領」、4山合わせて203高地全体占領。児玉、遼陽満州
       軍総司令部に戻る。
      (×観光地、記念碑、4WD、歩く)

1、7師団引き続き椅子山、大・小案子山を攻める。

 「椅子山堡塁」(×観光地、落書き、4WD)
 「大案子山堡塁」(×観光地、落書き、4WD)
 「小案子山砲台」(×観光地、落書き、4WD)
 「小案子山第2砲台」(×観光地、落書き、4WD)

12月15日 東鶏冠山北堡塁で旅順要塞陸上防備司令官コントラチェンコ少将28インチ砲で
       爆死。
12月16日 203高地占領の後、正面要塞(二龍山・東鶏冠山・松樹山)の総攻撃を始め 
       る。
12月18日 「東鶏冠山北堡塁占領(11師団)」
      (○観光地、記念碑、歩く)
       「東鶏冠山堡塁占領(11師団)」
      (×観光地、記念碑、歩く)
12月28日 「二龍山堡塁占領(9師団)」
      (○観光地、記念碑、歩く)
12月31日 「松樹(しょうじゅ)山堡塁、松樹山第4砲台占領(9師団)」
      (○観光地、記念碑、歩く)

旅順攻囲戦3大堡塁、東鶏冠山・二龍山・松樹山 占領。

1905年
01月01日 「望台砲台占領」、ロシア軍ステッセル中将降伏書を乃木に送る。
      (○観光地、記念碑、歩く)
       旅順攻囲戦、ロシア軍降伏、日本軍の勝利で終わる。死傷者59,400人、内戦
       死者15,400人。
01月02日 水師営で伊地知とライス大佐が旅順口開城規約調印。

以下、
白銀山北砲台、白銀山南砲台、西太陽溝砲台、模珠礁第1砲台・2砲台(行くこと可能)
南夾板嘴砲台、老虎尾砲台、威還砲台、蛮子営砲台、蛮子営付属砲台、城頭山砲台
(中国軍所有、行くことが出来ません)は旅順攻囲作戦が終了して占領。

01月05日 水師営で乃木大将、ステッセル中将会見
01月13日 第3軍旅順入城

備考 :
大連より全行程チャーター車(4WD)を利用。4人以上は2台〜の車(4WD)に分乗。
昼食(餃子料理)付。 
料金
1人
2人
3人以上

1,500元
1,200元
1,000元

観光
No.SK03
日清戦争−金州城・土城子の戦いの戦場を訪ねて8時間(9時〜17時)

モデルコース
ホテル−大連−@花園口−A台山・石門子−B金州城−C和尚島−D土城子−E旅
順(お好みの場所にお連れします)−大連−ホテル

第2軍は大山将軍指揮、第1師団(山地中将)、混成第6師団12旅団(乃木少将)、2団の
編成でした(2師団、6師団は参加していません)。

@大山はじめ第2軍は、1894年10月26日金州北東の花園口から上陸を始めます。今は名も
 ない村ですが海が本当にきれいです。現在は新しい工場地帯です(見学)。
Aここで初めて清軍に出会い戦いが始まりました。11月3日〜6日乃木、山地、秋山好古他 
 活躍、清軍は金州城にたてこもりました。これを石門子の戦いと言います。台山には清の砲 
 台、記念碑(中国)が残っています(見学)。
B金州は、昔は城壁に囲まれた町でした。今は、城壁はありませんがその名残が残っています。
 11月6日に金州城を占領、第2軍はここに司令部を置き、旅順の攻撃に備えました。現在、
 司令部が残っています(見学)。
C清の砲台。11月7日に占領。現在は大連の石炭港として名前が残っています。
D11月18日秋山好古ひきいる捜索騎兵隊は突如清軍に出会う、それが土城子の戦いで  
 す。日本軍は750人(騎)余り、清軍は約6000人砲10門。結局日本軍は退くが、翌日からの
 戦いにおいて大きく役に立つ戦闘でした。今は小さな村です(見学)。
E案子山堡塁、二龍山堡塁、松樹山堡塁が最後の戦いです。現在残っているのは日露戦 
 争の物です。11月21日旅順口占領。旅順では清の砲台(黄金低砲台)、弾薬庫(南弾薬
 庫)を見学します。

その後、山東作戦、遼河平原作戦、台湾海峡澎湖列島の占領、1895年4月17日下関条
約をもって日清戦争が終わります。
料金
1人
2人
3人以上

1,400元
1,000元
800元



オプショナルツアーご検討・お申し込みの際は注意事項をよくお読み下さいます様何卒お願い申し上げます。