大連世界旅行社


日露戦争 −旅順攻囲戦

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第1軍
指揮官
 黒木為髑蜿ォ
参謀長
 藤井茂太少将

第2軍
指揮官
 奥保鞏大将
参謀長
 落合豊三郎少将(1904年〜9月)
 大迫尚道少将(1904年9月〜)
騎兵隊第1旅団長
 秋山好古少将

第3軍
指揮官
 乃木希典大将
参謀長
 伊地知幸介少将
第1師団
 松村中将(東京)
第9師団
 大島中将(北陸・金沢)
第11師団
 鮫島中将(四国・善光寺)
第7師団
 大迫中将(北海道・旭川、1904年11月〜)

連合艦隊
司令長官
 東郷平八郎大将

参謀長
 加藤友三郎少将
先任参謀
 秋山真之中佐

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金州・南山の戦いは第2軍。
旅順攻囲戦は第3軍。

1904年2月、旅順港閉塞作戦が始まる(第3回で終了)。
[1]閉塞作戦隊記念碑

2月24日、第1回閉塞作戦。
[2]軍艦
赤=報国丸、黒=第2回米山丸、弥彦丸、福井丸。

3月27日、広瀬中佐戦死。広瀬が乗っていたのは福井丸。


[3]第2回閉塞作戦地図 [4]第2回隊員
広瀬の遺体は残念ながら海に消えてありません。
ただ遺体の一部が残りました。
真ん中、小さい箱がそれだと思われます。
[5]広瀬の遺書

1904年5月5日、第2軍は遼東半島に上陸南下して、金州を目指す。
5月25日、南山の戦い。ここで乃木の長男勝典が戦死します。
5月30日、大連占領。その後第2軍は北に向けて出発。
第3軍旅順近くの柳樹房に司令部を置く。
[6]第3軍幹部

7月26日、大弧子に向け前進し戦闘始まる。
[7]海軍陸戦重砲隊

8月9日、大弧山より、海軍陸戦重砲隊が大砲で戦艦レトウィザンに命中させる。
[8]旅順地図
第1師団、
第9師団、
第11師団の配置。
[9]旅順全景 [10]今の写真
[11]乃木
後ろは長男の勝典
(金州・南山の戦いで戦死)と
次男保典
(203高地の戦いで戦死)。
[12]柳樹房司令部と于大山 [13]鳳凰山

8月19日、第1回旅順総攻撃開始(第3回で終了)。
8月22日、高崎山(164高地)占領。
[14]高崎山(164高地)

同日、東盤龍山占領。
[15]東盤龍山

同日、西盤龍山占領。
[16]西盤龍山

8月23日、望台一時占領。その後1月1日まで占領できませんでした。この記録が桜井忠温の著書「肉弾」です。
[17]望台 [18]同左

9月20日、南山坡山(なまこ山)占領。
[19]南山坡山

第2回旅順総攻撃開始。

10月26日、28インチ砲導入。
同日、北盤龍山占領。
[20]北盤龍山

第3回旅順総攻撃開始。

11月26日、二龍山は9師団、東鶏冠山は11師団が攻めるが失敗する。
12月2日、児玉大将が煙台から柳樹房第3軍司令部に入る。まずは203高地1本に絞り攻撃、作戦変更する。
[21]白襷隊
現在所在不明。
[22]今の松樹山第4砲台の裏
夜襲せしなりと書いてある。
12月5日203高地占領。
12月6日、老虎溝山占領(203高地完全占領)。

[23]203高地記念碑
日本で鋳造し、
旅順まで運びました。
[24]203高地
乃木保典がここで
戦死しました。
[25]同左
重砲兵観測所。
203高地占領の後、
ここに観測所を置いて
旅順湾内のロシア船を
攻撃しました。
[26]同左
[27]老虎溝山占領
[28]今の写真 [29]同左
戦場の203高地。

12月18日、東鶏冠山北占領。

[30]東鶏冠山砲台占領 [31]東鶏冠山北占領 [32]12月10日突撃
[33]カボニエール(塹壕)爆破
[34]右、日本軍
[35]左記絵 [36]10月30、31日爆破口 [37]ロシア砲台
[38]左、28インチ砲の痕
[39]全体図



12月28日、二龍山占領。
[40]二龍山全体図 [41]12月28日二龍山占領 [42]同左
鉄線の状態。

12月31日、松樹山占領。

[43]松樹山全体図 [44]12月31日松樹山占領

1905年1月1日、望台砲台占領。
東鶏冠山第2、大案子山、小案子山、椅子山、西太陽台などは無条件降伏する。
[45]望台砲台占領 [46]東鶏冠山第2 [47]大案子山
[48]松樹山 [49]椅子山 [50]西太陽台

1月2日、水師営で旅順攻囲戦の停戦が話し合われ、ロシア軍は敗れ、旅順攻撃は終わる。
1月5日、水師営で乃木とステッセルが会見をする。
[51]水師営 [52]水師営内部 [53]外記念碑
碑の後ろに
ナツメ木があります。
[54]馬
文字に
「水師営会見を語る
棗の名木と
ステッセル将軍より
贈られし名馬」
と書いてあります。
[55]会見
右は有名な棗の木。
[56]水師営の門 [57]水師営跡地
今の水師営は全くの偽物、場所も違うし、移築された物でもない。本当にあった場所。

備考 :
黄色の場所は現在見学ができます。